苦楽八景モントリオールはどないなっとるんじゃ!とはだれも言わないが、あせってこれを書きはじめた。 夫ももういいやないかと言うけれど、やはり最後はしめたい。お願い、載せて!
帰国は2年後。最初から決まっていたことだけど、移民してきて住んでる人には
「どうして帰るんだ?モントリオールがきらいなのか?」
と必ず言われる。日本は何でも高くて生活が大変だから、こっちに移ってきた、と思う人も多い。夫が日本の仕事をゲットしたから、というと納得してくれる。正確ではないがまぁ嘘でもないしね。
そして「日本に帰るの、うれしい?」と訊かれる。
だいたいこういうふうに答える。
「ここの美しい緑の木や花や自分の家の庭がなくなるのがさびしい。芝生のない生活が悲しい。友達とは、連絡をとりあえるけど、緑とは文通できないから。でも、私は親のために帰る。親にとって私たちの帰国はほんとに喜ばしいことだと思う。」
親が近くにいるような人には、本当にそれが一番よね、と言われるし、同じように親は外国にいるような人には、ちょっと複雑な表情で、わかるわ、と。特に私の父のこと(1年半前に発症した大腸癌が肝転移し、再手術して1年)を知ってる人は、前から、あなたは、帰りたいんじゃないの?と言ってくれてた。親への愛情とか、離れてることでの不安とかは、国が違っても同じなのかもしれない。親離れしてないなぁ、とも言う。
どうでした?この2年。
これも訊かれる。
やっぱり日本を短期間でも出ることで、収穫があったなぁ。収穫という以外にない学び。外から日本をみる。外国で言葉の壁と文化の壁に囲まれた、少数民族となる。子どもを日本語の補習校に行かせながら、英語とフランス語の学校に行かせる。今の生活を中心にしながらも、いつも帰国後を考えて生活する。これは、どれほど本を読んでも得られない経験からくる学び。哲学でもない、文学でもない、民族学?この経験が、何に影響するのかもわからないけど、とにかく学んだ。以下が私の学びの一部分です。
宗教というもの。
ここにいる人はみんなそうだと思うけど、カナダ人であっても、カナダ以外のどこかの国が念頭にある。(念頭かどうかはその人によるか?)イギリスでは、フランスでは、ブルガリアでは、スコットランドでは、ガテマラでは、モロッコでは、日本では、こうこうである。それは自分のオリジンがどこかということなんだけど、民族意識は宗教がらみであることも多い。
韓国の友人は自分の宗派の教会に日曜毎にいく。クロアチアの人もポーランドの人も自分の国の教会があってそこへ行く日がある。大体が、宗教を通して国別にまとまっているように見える。ユダヤ教の人の場合は毎日の生活、全てのことが宗教に結びついているんだからすごい。反面、カナダ人の友達で教会に行く人がいない、というのも驚き。クリスマスも家族の楽しみの行事だという感覚。次女の友達のカミラも「私は神を信じてない」というらしい。そのくせ、歯の妖精は信じている。お金くれる妖精は信じるわけね。
ちょっと前の話。
隣のユダヤ人の家の人が急にうちに来て、「うちに来てくれ」というの。普段、ハーイと挨拶するだけのつきあいなのに、わけがわかんない。行ってみると、冷蔵庫を開けてくれ、このスイッチを切ってくれ、テープでとめてくれ、といくつかのことを頼まれた。ユダヤ教の安息日だから彼らにはできない、でも異教徒ならできる。そのくらい、ずるしてやればいいじゃん、というようなことをきっちり守っている。もちろん、宗教から離れてる人もいるけど、(イスラム教なのに豚肉を食べるとかスカーフをしないとか、クリスチャンだけど教会にはいったことがないとか)日本にいて、ここまで個人を通して宗教を感じることがなかった。(オウム教とかは感じるんかな?)
マコさんは一応イスラム教徒だ。コーランも読むそうだ。イスラム教徒には1年に1回、断食の月があって、お日様が出てる間は一切食べない。彼女は土曜日に補習校の先生をしているのでたまたまその日にあたれば、食事はとらない。
「そういうのってさ、カナダだから、ふーん、イスラムの習慣なのね。と思うだけだけど、日本でできるかしらね。教育の現場に特定の宗教の習慣を持ち込むなんて!って抗議さらるんじゃないの?」
マコさん、「そうかもねぇ。日本なら私も食べるかもね。」彼女はフレキシブルなイスラム教徒なので問題なさそうである。
また、余談だけど彼女の夫は豚肉を食べたことがない。だから豚肉の味を知らない。で、あるバーベキューの時、我々日本人はそうとは知らずに味付け豚肉を買ってしまった。サミールさんは、おいしいおいしい、とその串ざし肉を食したらしい。
「豚肉の味を知らないから、豚肉食べてもわからないのよ。」と困惑しながら話していたのが思い出に残る。みんな、これ読んでサミールさんに事実を話したらあかんよ。
日本人の宗教って?
私には宗教がない。と言っても、多分大方の人がそうであるように、お宮参りで手をあわせ、クリスマスをお祝いし、仏壇に線香をたく日本人である。宗教は何かときかれるのが困りモノだったわ。ない、とか言うとよけいややこしいし、敬虔なカソリックの多い南アメリカ諸国の人のいるところでは、何か失礼な感じもするし。
「人と人との絆が一番大事なことなんです。」と説明したけど、あってると思います? 日本人はどうやって集まるかというと、属する集団だと思う。商工会、アカデミー会、日系文化会館、補習校。会社。出身学校。トロントとかだと、県人会があるのよ。
ここにも日系仏教会があるし、クリスチャンの日本人もけっこういるし、創価学会の人だっている。だけど、宗教で日本人をまとめるシステムはモントリオールにはないと思う。
もちつき、たこあげ、陣太鼓、雛祭り、寿司、おはぎ。言葉と習慣と食生活を共有する民族意識。ねっこに神さまがあってもそれはもはや宗教じゃない。
日本がいわゆる先進国の中で特別変わった国だと思うのは、神と人間との関係より、人と人との関係、属している集団によるルールが優先されるところ。日本ではそういうのものが生活を支配していることをここにいると実感できる。神のない宗教的集団?それでいてごくごくふつうに感じられる日常。
アイデンティティてなんじゃ?
こんな言葉は日本では使わなかった。意味さえ知らなかった。ここでは、かなり重要な要素になる。日本人としてのアイデンティティのために日本の大学を志望する人もいる。学究のためではなく、アイデンティティのために学究の道を選ぶ?これについてどう思うか、立花隆に訊いてみたいもんだ。
<私が日本人であること>を意識させるのは子どもたちを行かせていた補習校だった。ここには、日本があった。日本の教科書での勉強、運動会、学芸会。入学式、卒業式、通知票。今の日本の小学校でもやってないわよね、というくらい伝統的な様式でとりおこなわれているので、来た当初はびっくり。パン喰い競争なんてここで初めて経験したわ。
行事はどれも、ここの学校にだってある。あるが、内容はもちろん、そのあり方とか、意義とかがあまりに違うので同じとは誰も思わない。特別なものなのだ。日本のはTOO SERIOUCEだよね、と滞日経験のある人が評した。確かにシリアスだけどTOOだとは思わない私は完璧日本人か。
5才の息子が行った日本語センターには、遠い日本が感じられたけど、日本はなかった。多分に、ここには、日本語は外国語に近い、という子どもが多かったからだと思うけど、何よりも、ここには、政府や企業のバックアップがなかった。要するに、器は日本製じゃないということかな。それでも、ここの先生たちの最高到達点は日本の大学に行くことのようだったから、びっくりしたけど。
私は日本のキュウリではなかった?
私はここで個人主義社会に浸透されて、そしてはからずも自分がここに来る前から、感じていた「なんかここ(日本)にはあわへん」ものが、自分の内なる個人主義であるということに気づいてしまった。補習校の保守派の人はよく、こっちのやり方の利己的なのが嫌いだ、と意見していた。日本でよく言われることだけれど、日本社会での個人主義というのは利己主義と同じ意味になる。全く同じものが、他国では個人主義として、奨励、容認され、日本では利己主義として排他される。なぜかわからなかった。今はわかる。土壌だった。集団主義の土壌で個人主義が共存することはあり得ない。神と私とのルールではなく、集団が決めた私を決めるルール。
日本からもってきたキュウリの種がここの土ではまったく育たなかった。どんなに種がよくても、土があわなければ1本のきゅうりもとれないのだ。ケベック産の苗で育てたキュウリは、日本のものとはかなり違っていたけれど、たくさんとれた。土壌は容易にかわるもんじゃないからね。
ここに来たときに、よく耳にするフレーズが、"IT DEPENDS ON YOU."だった。何をするにも自分次第、しないのも自分しだい。
「あなたが決めるのよ。私じゃないわ。」朝食の卵の料理法とか、サンドイッチの中身も1から10まで言わないといけない。おまかせとか言うと、相手はとまどう。あれは、慣れればどうってことないんだろうが、めんどくさかったな。
<言ったモン勝ち>というのもよく感じた。沈黙は損だった。言ってもだめだったことも多かったけど。鳴かぬなら鳴くまで待とう、じゃない。鳴く鳥をさがさなあかんのや、ここでは。
ある「日本大好き!」な人が言った。「ここじゃ、常に闘って、自分で決めないといけないでしょ。私はそれが嫌いなの。だれかが言ったとおりにしといて、あとは流れに身をまかせて何にも考えないで生きていける日本のほうが私にあってるわ。」しかし、彼女の場合は多分ここで骨を埋めるそうな。そして私は日本で骨を埋める。
私はうつになるか?
自分が個人主義的思考であるということに気づいたせいで、なんとなく、日本での暮らしが楽になるんじゃないかと思った。今までは、「みんなも私と同じ考えなんじゃないの?どうして変えないの?」と思っていたことが、「みんなと私は考え方が違うのだ」とわかったから。そして、集団主義COLLECTIVISMが日本の歴史と繁栄をもたらしたということを理解するし敬意をもつ。それを主義とする人も、そうなんやろうなぁ、と思える。日本のいいところもたくさん認識したからね。とはいえ、日本の常識は世界の非常識というのは、政治的には大変でしょうなぁ。ある本に、<国内でのやり方と国際間では、まるっきり態度や考え方を変えなければならない。そのギャップを埋める新しい層として帰国子女がクローズアップされ、ある種の特権階級にまで達せられたのだ>とあった。二面性を要求されるのね。言葉もチェンジ、思考回路もチェンジ。
外国から帰国した駐在人の妻がうつに陥ることがある、という記事を読んだ。「横並びの発想についていけない、自分が空回りしてるような浮いた感じ。」
読んでいて、私は大丈夫だな、と思った。もうすでにクリアしてるな、と思えるから。昔なら、「何なの!その主体性のなさは?」と憤慨してたことも、今では、「お、出たぞ。そのセリフ。いかにも日本的だぁ。」と心で拍手して分析までできちゃうんだよ。(なんてイヤなヤツだ、私は)とかいってて落ち込んでたら、笑って罵って下さい。ははは。
自分の本質に気づいたという意味で、ここでの暮らしはすごく価値があった。じゃぁ、価値がなかったことは?というと、一方で2年間の語学の上達はおそろしく、なかった。いや、正確にいえば、自分自身にあいそがつきた。もちろん、上達はあるに決まっている。だけど、外国で暮らしたからといって、語学が身につくものではない。学習と実践。実践の場はあったけど、私には学習の力がなかった。ひとえに、若い頃の怠学が悪い。私が悪い。私にしてはがんばった、とも、できるはずの半分もできなかった、とも言える。本質に気づき、若き日々を後悔させた。
子どもには私の苦労をさせたくない!
学校で習ったはずの知識ははがれ落ちていたので、ここで、高校英語をあらためてやりはじめた。若い頃やってればもっと先に進めたのに。学力のないことが、悔しかった。学歴じゃない。私には学歴もないが、それより学力がないことに打ちのめされた。勉強する気はあっても、本は睡眠薬。何十回同じ単語を調べたことか!それでも覚えない。そして、その気持ちは、子ども達に向けられた。
「母さんは、こどもの頃勉強しなかった。そして今それで苦しんでいる。もうこの年になれば取り返しがつかないの。母さんのようにならないで。今あきらめたら、一生後悔するよ。」
子どもの遅々とした日本語。上達すれどままならぬ外国語の狭間で、小学校低学年の子どもに泣きながら勉強させるのは、夫も私もしのびなかったけれど、中途半端な帰国子女扱いで子どもに妥協させるのは嫌だった。何度も自分を引き合いに出して、がんばらせたのだった。多分、学力のある母の説教より、私の切実な説教のほうが効果的だったと思う。そして隣には努力家の夫の着実な研究の成果がみえる。(夫の仕事部屋と娘たちの勉強部屋は共用だった)
「みてごらん、母さんと父さん同じ年やのに、この違いや。私は悔しいよ。」
まだわからないが、彼女たちは大丈夫じゃないかなぁ?甘いか?
次女が特に帰国を嫌がってるというのは書いたが、その思いはますます強くなってる。
昨夜、見慣れぬアイスの棒を見つけた時の会話。
「どしたの、これ?」
「ミス フレイザがくれた。」
「どして?」
「今日は、暑いからって。」
「げげー、暑いからという理由でアイスくれる先生なんて、日本にはいないからね。」
私もいちいちこうやって釘をさすのでいかんのだが、また次女の "I don't want to go back"コールを起こしてしまった。中にはいってみれば、どうってことないのに言葉にすると、とても脅威になるのだ、特に学校のことは。
「アクセサリーはあかんよ。マニキュアなんてとんでもないで。」
「おもちゃも関係ない本もあかん。おやつもジュースもないよ。」
「体操服はもう決まったのがあるから。ださださやけど。」
「喋るときは、中途半端に英語混じりにしたらあかん。どっちかに統一しないと、嫌がられるよ。」
東京の私立小に子どもを行かせてた人は、娘に
「元の学校にもどりたいなら勉強しなさい。しなかったら、公立よ。でも、そこには、バタフライナイフを持ったお兄ちゃんがいっぱいいるのよ!それでもいいの?」
娘は、怯えて勉強する、というらしい。そりゃ、こわいわ。しかし、これではいかん。フォローせねば。
「いや、でも日本語だけやってればいいから楽よ。給食もおいしいよ。夏は暑いからいくらでもプールにいけるし、夏は地蔵盆でお菓子いっぱい貰えるし。秋は七五三で着物着よう。」
それでもイヤか?よし、とどめだ。
「おじいちゃん、おばあちゃんがほいほい何でも買ってくれるよ。」
わりとみんなしているようだが、帰国をしぶる子どもには、モノでつる。
「新しい机、新しいランドセル、買いにいこうね。しんごは自転車だよ。」
この前、祖父母に出す息子の手紙を代筆してやったら、
「靴や服が古くなったら、買ってね。」などと言う。祖父母、不憫がるのが目に見える。まぁ、これはどんな古いものでも、
「いいやいいや、日本でもっといいのをおじいちゃんが買ってくれるから、がまんし。」で通してしまったせいですわ。豊かなモノ社会日本、子どもに甘い祖父母たちに頼っている愚かな母は私です。
さぁ、この異国経験が今後のオカザワ家にどう影響するでしょうか?ことにカナダ人には興味あることのようで、帰ってどんな風に感じたか、ぜひ手紙をちょうだい、と何人かに言われています。どんな家に住むのか写真を送ってとか。
「うん、書くの好きだから、必ず出すね。」
「エキサイティング!それに英語の練習になるわよ。 GOOD FOR YOU!」
おお、英語版ざわざわコンニチワだしたろかい!とまで考えています。
じゃ、このへんで。ホームページ版ざわざわはとりあえず終わり。あとは、相棒きはらとまた、ぼちぼち、タイムズはじめます。私個人のE-mail アドレスがそのうちできるので、そちらにもお便りください。
読んでくださってありがとう。どこかでまた!じゃぁね、ざわざわぁ。
やっぱり、エルニーニョのせいかしら。モントリオールは暖かい。雪もちょこっと。スケートもスキーもできない2月は春のようだった。3月は、記録的な大雪嵐が二日あって、車庫前の雪のブロックをどけるのに1時間かかったけど、そのあと、春がほんとにきてしまった。今は四月。例年より早い春にみんな喜んで街へ繰り出す。走る、歩く、車洗う。庭の手入れする。北国の春は、価値がある。
ざわざわ遅くなったが、オリンピック編をだすぞ。三月に出すはずだったのに、やっぱり、締め切りのない仕事は難しい。外圧がなけりゃ何もできない日本の政治、とは私のことか?今回の外圧は夫の「まだ書けないんか?」でした。
やー、オリンピックでしたね。ナガノでしたねぇ。観ました?もう、うちなんか夫が待ちに待ったっていうやつで、それこそ、カナダに来る前から、 「くそー、なんでこんな年に日本にわしはおらんのやー」と何度もつぶやいていたわ。
彼の実家は、長野にあるんです。しかも、あの善光寺の近所。そりゃ、悔しかろう。その時だけ一時帰国したろかい、とまで言ってたけれど、しなかった。あとで親に聞いたら、「長野に住んでるほうがチケット買いにくいのよ。開会式もフィギアも定価が3万円でプレミアついて12万円になったらしいよ。」げげ。 で、仕事の合間にテレビで観ただけらしいが、それにしても、定価が3万円だなんてね。わたしゃ、整理券配るだけかと思ってたよ。長野にいたとしても見にいかないと思ったな。 加えて、交通規制やら、操業自粛要請やらで商売はさっぱりだったらしいです。でも、全体にやってよかった、らしい。
この時期、モントリオールも結構な長野ブームでした。 「日本にもあんなカントリーサイドがあったのね。きれいだわぁ。」 「日本にもあんな高い山があるんだなぁ。」 「え?だんなさん、長野の人なの?いいところよねぇ。」
娘の学校でも図書室で、日本を紹介する授業があったの。私も請われて、小学校生活を紹介する写真を見せた。スクールバスがないこと。子どもだけで登校すること。交通安全のための黄色い帽子。4月が新学期であること。ランドセルというもの。どれも「へー!」という反応だったけど、特に黄色い帽子に感嘆した様子。ほーっ。
ニュース番組でも、日本紹介が多かった。印象的なのは、 「はい、私は今、駅のプラットフォームで缶コーヒーを飲んでいます。なぜか、この商品名はジョージアコーヒー。長野で買ってもジョージアです。日本はどこにでも自動販売機がおいてあります。」発想が日本と同じ、のジョークでしょ? 新聞が最初の頃、強調したのは、 「なんて安全な街なんだ。駅の自転車置き場、みんな鍵もかけずに置いていく。おまわりさんは、犯罪がないのでひまそうにしている。」 「ためしに千円札をわざと落としてみたら、100%、落としましたよ、と返してくれたぞ!」 これに関しては、夫は「千円だからではないか?1万円札ならネコババするやつがいるだろう。」という見解だった。
前置きはこれくらいにして、本題へいこう!最後まで前置きかもしれないけど。
カナダといえば、ホッケーとカーリングだ。まずは、ホッケーの話。
ホッケーがどれくらい人気があるかというと、カルビーポテトチップスを買うともれなくホッケー選手のブロマイドが入ってます、と言うくらい。子どもの一番ポピュラーなスポーツです。うちの庭には、大家の息子達がつかっていたホッケーゴールがある。こどもも大人もスケート靴はホッケー用がとても多い。エッジがついてないのでこれで練習すると、最初は大変だが力がつく。 娘の友人たちも、ホッケーの少女チームに入っている。モントリオールがつくっている地域のカルチャーセンターみたいなところに属しているものだから、ほとんどお金がかからないの。校庭や公園に板で即席の囲い作って水をはれば、ゲーム場のできあがり。 テレビコマーシャルでは、ビジネス街に空き缶がころころところがってきたら、傘で、ほうきでみんながホッケーを始めるというのが、いかにも北米チックで好きだったが、実際はそんな場面に出くわしたことはない。 ともかく、カナダのホッケーは日本の野球である。(ちょっと前ならサッカーだったかもしれないが、今日本のサッカーは下降しているんですってね。)で、今年、女子ホッケーがアメリカに負けたのは、泣くほど悔しいことなのだ。これは、柔道で柔ちゃんが勝てなかった、相撲で日本がチャンピョンになれなかったら、「ええー?国技じゃない、どしてぇ?」と思うのに相当するのかな? 男子ホッケーは、結局伝統のチェコ対ロシア決戦だったけど、ある夫の同僚のヨーロピアンは、 「やっぱり、ヨーロッパホッケーがいい。エレガントだからな。」で北米ホッケーが好きじゃないそうだ。
長谷川先生の子どもさんは、どこを応援するんだろうか?と思って聞いてみたら、 「日本はママの国、フランスや中国はパパや祖父母の国、自分たちはカナダ、と思ってるんじゃない?どこが勝ってもいいけど、アメリカにだけは負けたくない、って言ってるわよ。」 という返事だった。まさに、カナディアンなのである。 話はそれるが、このカナダのアメリカ嫌いはどこからくるのだ?と英語の先生、チャーリーに聞いたのね。答えはこうです。 「イギリスから北米に渡った人々は二派に別れた。もう一つのイギリスを作ろうとする人と、母国とは違う新しい国を作ろうとする人たちだ。」 前者がカナダで、後者がアメリカ。 もちろんイギリス以外の国が山ほどある多国籍国だし、ほんまかー?とは思うけど、カナダの20ドル札の古いのは、若きエリザベス女王がのってるから、そうなんかなぁ?
ちょっと前、アメリカが、中東に攻撃をかけるだなんだと言ってる時に、そのテーマが日本語の会話クラスででたの。ほとんどの人が、「アメリカからの情報だから真偽はわからないが、とにかくカナダはアメリカに追随するべきじゃない。」というような意見だったので、やっぱりなぁ、と思った。
余談はこれくらいにして、次はカーリング。 今年からの新種目なんですね。漬け物石をボーリングのようにすべらせて、進路をほうきで掃く、こする。相手チームの石を当てたり、枠から出したりして勝負を決める競技。でも、見ていて、ルールはわからない。複雑なゲームなのですが、カナダのスポーツチャンネルでは、しょっちゅう、この試合をやっている。で、このスポーツは、おじさん、おばさん選手が中心なのだ。ナガノでも、このカーリング中年選手団はひときわ異彩を放っていた。 「やっぱり、うくよなぁ。ここだけ年寄り集まってるよなぁ。」 「でも、私たちにもオリンピックの可能性があるって感じがしていいよね。」 「あんたもカーリングやれば?」 「日本でならまだ選手層が薄いから可能性あるかなぁ?」 「しかし、ほうきで必死で掃いてる姿は笑えるのに、この人らの真剣さがすごいな。」 「うん、こりゃ、はまらん世界やな。」 この先、カーリングが若年化するのか、おじさん、おばさんの独壇場をキープするのか、みどころはそこである。
HARADA ここでも、目にタコなほど、前回の失敗頭抱え座りこみ姿勢が映し出されて気の毒なのであった。この人、一生こればっかやられるんやわ。
FUNAKI 眉毛を剃ってない、言ってた頃、「うそやーん、剃ってるわ、これ。嘘つかんかていいやんか?」と見る度に話題はそれだった。剃らんかて、あんた。
SHIMIZU みんな、しゅみーず、としか発音できない。しかし、人気があったね。やっぱり、セメント袋をかついできたえた「父ちゃん、みててくれ」の美談は泣かせる。こっちでもカナダ選手に囲まれた表彰台の写真は、ROOTSの店先にずっと飾られていた。もちろん、カナダのユニフォームの提供先としては、あのジャケットと帽子を売るのが目的なんだけど。(確かにかっこええぞ)あの、写真みるたびに、「シミズ、立て!」という気持ちになったもんだ。うちの息子は、ロケットシミズにぞっこんだった。いまだに、ロケットシミズごっこ(なりきって走るだけ)をやっている。娘のアイドルはスパイスガールズ、息子のアイドル、シミズ。子どもに希望を与えるのはすばらしい。 話はそれるが、このROOTS製品、売れた。あの袋のような帽子もよくかぶってる。けど、ジャケットはともかくあの帽子、人を選ぶ帽子だ。アジア人では難しい。一人だけ、似合う人を見た。。阿部寛系のモデルのような若いお父さんだった。日本でははやってないと想像する。だって、間違うと「ほていさんがスタジャン着たはるで」なのだ。
クロスカントリー;カナダはクロカンが盛ん。モンロイヤルの丘など、クロカン用のコースがあって、みんなジョギングをするようにクロカンをしている。なのに、メダルがとれない。こんなにクロカン人口がいて、何でや?多分、カナダは、コースに高低がなさすぎるんだろう。とか、趣味でやる人は多くても、実は選手層は薄いのだろう、とかね。北欧に住んでる人に聞いてみたいわね。何で強いのか?私はついカナダびいきになって、 「北欧なんて冬はクロカンしかすることないのよ、きっと。」と意地悪を言っていた。
地味なドイツ;リュージュとかボブスレーとか、僅差の勝負ごとでは、ドイツ、強い強い。緻密で完全主義のドイツ人ならでは、の種目でした。メダルもそこそことってるのに、なんか、地味な選手団だったわねぇ。横で、国旗広げて大騒ぎしているカナダチームのそばでひっそり、しっかり立っていました。
しょっぱなからの、マリワナ疑惑。マリワナ吸ってる人のそばにいたから、という理由で取り返したものの、なんかすっきりしないけど。英語のクラスでもそれが話されたことがあったの。先生が、 「んなもん、吸ってたに決まってる。今時、マリワナがオリンピックの規制対象になってるのがそもそもおかしい。」 「だけど、日本で違法なら、やっぱり、罪になってもしかたがないんじゃない?」 「カナダでだって違法よ。みんなやってるけど。」 「大体、違法と知ってて、日本にいくことわかってて、何でそんなパーティーに行くんだ?」 結論は、これで法律が変わるだろう、ということだった。なんか違うぜ、論点が。
ジャッジの不透明さも問題になってたわよね。ケベック独立主義派が、選手村にカナダ国旗が多すぎる、フレンチがないがしろにされてると言ったりして、いまだにぎくしゃくしてるらしいし、オリンピックは友好にも有効だが、紛争の種もつくるんやなぁ、と実感する。やめたらどうや?サマランチさんがスピーチすると、つい、 「うーん、いったいこの人どれだけ儲けてるんやろう。」といろいろ想像してしまう。
思いきり盛り上がり、実は商業主義にのせられてるだけ?と疑問をもったり、感動したり、怒ったり。やはり、まんまとのせられた2週間なのであった。<
季節はずれのオリンピック特集でした。じゃーね、ざわざわ! おっと、おかざわ家のホームページなんだから近況もやっとかなきゃね。
秀彦氏;毎日、日本に帰りたいを連発している。ミルコ教授との連日の口論に疲れはてているのだ。彼も強くなって、研究に関しては無駄なことや、間違ったことには毅然と抗議する。 「意味のある口論なら甲斐あるやろうけど、あまりにも不毛だぜ。」 マギルの白い巨塔、というか、ま、いろいろ大変そうだ。 時には、ローラースケートで通勤しようかとか、自転車買って通勤しよう、とか建設的なことも言うのだけど(どこが建設的なんや?)全体にお疲れなのである。 でも、この前はリサ・ローブやローリングストーンズにも行ったし、それなりに気晴らしはしております。
りえ;英語でしゃべる時と日本語の時は別人28号と化すりえちゃん。2年生の総仕上げとして、ピーターラビットのことを勉強しているらしい。うさぎの生態と、作者のポターの研究でもやるのかしら?成果はそのうちオープンスクールで披露される。 タイタニックブームは子どもにも蔓延してて、映画もみてないのに、ディオンの歌を音はずして歌って陶酔していらっしゃる。 今、補習校の運動会に向けて、走る練習を家でやっている。こっちじゃ、歩く走るは意識しないとできないから(永い冬と雪のせいか)運動音痴は改善しないわ。
ゆか;先日、日本に帰りたくない、と言って号泣した。2年前は京都に帰りたい、と号泣したくせに。いや、親が悪い。自分たちの都合で、子どもを引きずり回してるわけだからね。私も一緒に泣いたよ。 「友達の数は、別れの数だけ増えるし、世界各国に友達ができたことを幸せに思うでしょ?」と言うと結構、理解したようだった。 私が「日本に帰ったら、みんなにとけ込みたい一心で英語なんかすぐ忘れちゃうのよ。」と言うと、そんなことはない、私はこれを保ち続けるのだと(英語で)言う。これも見物であります。 友達と長電話で話してる姿をみると、やっぱりこの子が一番適応してるんかなぁ?と思うわ。私にはできない芸当。
しんご;最近、日本語のかるたを覚えて、姉たちとやっている。しかし、一人遊びの時はほとんどフランス語になっている。寝言はまだ日本語だけど、「あのね、あのね、」を7、8回はさみながらしか話せない。思うに、彼の場合は2年近くで、2カ国が同等になっていると思う。この夏帰るのはやはり正解だなぁ。 今まで、「まわるお寿司たべたーい」と言ってたのが、今日は「ハンバーガー食べにいきたーい」と言った。今が変わり目なのかもしれないなぁ、と実感する今日この頃。 保育園のドラマプログラムで王様の役をさせてもらってご満悦のしんご、親ばかちゃんりんだが、本当にすくすく育っていてかわいいのであります。
チセコ;しんごだけじゃなく子ども3人がとてもいとおしい。子育てもひと段落して余裕のよっちゃんなのだ。あと何年子どもが私を慕ってくれるだろう。子別れを思うと涙さえにじむこの頃。今から、「母さんのこと邪険にせんといてよー」と懇願しております。 気の早い私はすでに心は帰国準備。でも、本当に最近になって、いろんな意味でここに馴染んできたなぁ、と実感している。やはり2年はプロローグなのか。みんなに惜しまれて帰国するのはまるで宝塚スターの引退のような気分だわ。
はい、ではこのへんで。次回は、目標5月末。テーマは「苦楽28景、モントリオール」 おるぼわー
みなさん、お元気ですか?新年のご挨拶もせぬうちに、アイスストームがおそって、モントリオールは氷の国でした。今日はその話がメインだよ。
「緊急ならアメリカ行ってだすといいわよ」
と言う人はいた。で、3週間後にスト解除で再開したときも、郵便局はのんびりゆったり、人もまばら。あせってクリスマスプレゼントを出したのは私だけ?へ?って感じでしたね。
だがしかし、エルニーニョのせいとか、千年に一度とも言われているフリージングレインがふって、街が氷に覆われてしまったらさすがの雪国もお手上げなのだった。日本語だと氷雨とかみぞれとかいうと思うけどああいうのって、とけてなくなるものでしょ。それがとけずに氷としてどんどん分厚くなっていくの。車の窓に落ちたらそのままペタと凍る。ワイパーもかけられない。道路はスケートリンク。実際、うちの家族の初スケートは庭でした。妙に楽しかったみたい。大きな声では言えないが。
以前書いたけど、ここって広葉樹が主で、やたら大きくて古いの。もちろん剪定なんてしない、もんだから、バキバキメリメリ氷の重さで裂ける、折れるでアイスリンクになった道の上に木が積み重なって、どこも通行止め状態。これで車がつぶれた人もいた。保険かけてれば補償されるから、人によっては買い換えるチャンス?
夫「うちの車もたおれそうな木の下においとこうか?」
私「え?うちの車、車両保険かけてんの?」
夫「いや、かけてない。」あんたねー。
倒木は、後日カナダの軍隊が大量動員されて片づけられた。カナダ人の多数は軍隊なんかいらんわ、と思ってるそうで、避難先の家族も友人たちも
「おっ、みてごらん。カナダアーミーだよ。」
と言いながら、アーミーに関する悪口言いたい放題。
「いや、今日みたいな日には、ありがたいよな。」
などと言う。夫は、
「こんなところでアーミーが見れるなんてすごいやん。」
とビデオだ、カメラだ状態だ。
「これで、ケベック独立派の覇気がそがれるにちがいない。ケベック外からこれだけ援助してもらってれば何も言えないわよ。」
と言う人もいたな。私もそれは感じた。
一面氷の世界、なーんてきれいなんでしょう、と思って写真をとっていた皆様だけど、停電という大問題が。知ってる?カナダって、暖房もコンロも全て電気ってところがほとんどなんですよ。暖房がガス、石油だったとしてもそれを作動させるのは電気。で、アイスストームは、主要高圧電柱をなぎたおし、電線をを切り、<パワークライシス>を起こした。停電でなにがこわいってあんた、寒いのよ。全館暖房切れたら、暖炉のないうちは他になにもない。暗いのはろうそくがあるけど、寒いのは、零下10度、20度のとこじゃどれだけ着膨れようと、暖はとれないのよ。石油ストーブなどというものは存在しない。発電器が売れたらしいけど。で、結果、室内バーベキューセットでガス中毒、低体温で意識混濁の人が増えて、アパートなんかだと強制退去命令がでたりしました。老人はなかなか住みかを離れないから、ポリスが来て追い出す。かなりの人が避難しましたが、友人宅に避難した人はともかくシェルターに避難した人は、こわかったろうな。(私のまわりにはいなかったけど、かなり、治安が悪いところもあって、しらみが発生したりとか、新聞には書いてあった。)
オカザワ家はどうしたか?日本からのメールで
「大寒波で疎開されてたそうですね。」
「シェルターに避難されたそうですが大変でしたね。」
などがきて、
夫「事実がゆがんで伝わっとるなー」
私「早く、記事書いて皆様に報告せねば。」
うちは4日間停電でした。一晩は我慢してスキーズボンはいてねた。キャンドルライトの生活は一晩なら、ちょっと楽しいキャンプ気分。でも次の日は温度もさがってきて分厚い布団もないので危険だと避難。3日間友人宅にお世話になりました。2日間は娘のクラスメイトの家に泊まった。3日目は日本人の友人宅。ホームメイドワインとスパニッシュエスプレッソ、カナディアンスタイルの食事、鍋料理。ホリデイリゾートといっては言い過ぎか?とにかく、子ども達には、楽しい避難。 そして、停電回復後は一家族がうちに一晩避難してきた。その次の日はホテルに避難してた別の家族があたたかい晩御飯を食べにきた。一週間、毎日、正月のようでした。といったら、まだ、停電中の数万人の人々に申し訳ないが、実際はそういう人のほうが多いようだった。
「うち?暖炉があったから、毎晩酒盛りだったわ。」
「リッツカールトンに避難民価格でとまったの。だって他はどこも満員だったんだもん。こんな機会もないと思って従業員と記念写真とったわよ。」
ちなみに避難民価格は98ドル。避難民子どものためにデイケアもあって、充実してたそうです。家の中でテントはって寒さをしのいだとこもあるみたい。うちは、一時帰国した友人の持ち帰った紅白歌合戦のビデオをみんなでわいわい観たのだった。
「わたしさー、外国でこれだけはやりたくないと思ってた、<日本人が集まって紅白を観る>というのを、2年もしないでやってしまったわぁ。」
「かっこ悪いとは思うけど、これって日本で観るより楽しいわよねぇ。」
由紀さおり姉妹の髪型が今の主婦のトレンドなのだと教えてもらって、それを、こっちの日本人学生に発見したとき、妙な感動があったのでした。流行は外からみると、無価値なのだと実感もしたんだけどね。
アイスストームの話に戻ろう。 日本人の私にはどうしてもあの阪神大震災の記憶があるから、あれに比べたら、と思ってしまう。このアイスストームがどんなに大変だといっても、あの悲惨さを思ったら、どうってことない。家族は生きてる。家もつぶれてない。水もでる。いくとこいけば、普通に生活できる。精神的な傷もない。もちろん、この災害だって、死者は出たから、そういう人には悲しみは同じだろうけど。とにかく、悲惨の規模が違う。
マイナス20度の日々を過ごせば、マイナス5度なんて、
「今日は、あったかいよねぇ」なの。
そんな感じ。と、のんきに言えるのも、短期間だったからだね。1カ月にもなろうとしているのに停電が続いているところがある。モントリオールの南の島の方。精神的、経済的な打撃が深刻なようで、毎日のように記事が載る。<忘れられてるんじゃないか?と不安を募らせる住民たち><家に戻っても泣いてばかりで何をする気にもなれない老人>震災後の神戸の記事にもそういうのいっぱいあったね。
カナダの被害総額を考えると気の毒としかいいようがない。そうでなくても、毎冬の除雪費用が膨大なのに。くわえて、この氷の除去の大変なことといったらない。除雪車がもう何台か壊れたらしい。他にも、倒木の除去、危なそうな木の剪定、ビル屋上の氷除去(各地で屋根が落ちている。)未だにその作業は終わってないし、肝心の送電線が全回復してないもんね。経済低迷で貧乏なカナダ、ますますお金なくなって、どうするんや?
農業にもかなりの影響だそうだ。りんごの木とか、牛、豚、鶏。メープルの木なんか、観光資源でもあるのにね。エルニーニョのせいらしいが、やはり、自然災害は、言いにいくところがない、という点で辛いな。
とにかく、アイスストームは、私たちのカナダ体験をさらに貴重なものにした。ローリングストーンズのコンサートがキャンセルになったことを除けば、そんなに悪くなかったぜ、と思っていたら、夫が過労から、持病の再発となり(腹痛)1週間、病人だった。たまった仕事が多すぎたせいだが、あの楽しい避難も実はストレスの原因だったにちがいない。思わぬところで、災害のつけがまわってきたということか?
今はみんな元気にやってます。じゃ、ちょこっと近況報告。
子ども達は、帰国した友人にいただいたたまごっちでエンジョイ。(遅い、ってか?)やはり、今はそればかり。他の遊びをとんとしなくなった。いつまで続くのかなぁ?
長女には、停滞著しい日本語のためにもっと読書が必要なんだけどなぁ。やっぱり、読書の好きな子は得だわ。いやいや読書させるなんてしたくなかったけど、結局、長女には読書を強いている。
次女は真ん中の手薄で、適当にやっている。そこらへん、上手い。さすが、次女!
末子のシンゴ5才が日本語センターに週1回通うことになりました。そろそろ、帰国準備というところなのじゃ。最近の言葉録、
「あのねー、しんごねー、あのねー、えーと、しんごねー、あー、何言うか忘れちゃったぁ。」
ほらぁ、困ったちゃんでしょう。先日、ある6才の男の子が、ポケモン攻略本読んでる姿にショックで、危機感募らせた私でした。平仮名読むことさえ、驚きだというのに!
「ね、ね、あの子は日本でだって特別よね。あの年で送り仮名ついてない漢字読めるわけないわよね。」
「そう、思いたいわよねぇ。」げげ。
夫は、また元気に仕事づけ。私は、図書館ボランティア、英語の会話教室という新たな項目が加わり、相変わらずの家事嫌いに拍車がかかる。あ、でも、最近ちょっとお金回りがよくなって、食生活がちょっぴりレベルアップしたんだな。今日は、屋台のホットドッグを食べて、中華街で夕食食べて、帰りにケーキまで買って帰ったのだよ。しあわせというやつですか?単に料理しなくてすんだだけ、とも言うな。
じゃ、今回はこのへんで。 次回更新は2月後半予定じゃ。アクセスしてね、ざわざわに。おるぼわー。
参加者;
長谷川澄先生(マギル大学東アジア研究所)
ジャンさん(大学4年 政治学東アジア学)
かおるさん(大学4年 解剖学専攻)
トーマスさん(数学者、大学院生)
メアリーさん(翻訳業、7才5才の男児あり)
岡沢 日本語を勉強しようというカナダ人は特別な人なのでは?
長谷川 今は普通の学生も日本語をとるようになってるんですよ。カナダの会社でも日本と貿易があって日本語ができる人が必要というところはあるから。私が別の大学で日本語を教えを始めたのが18年前なんですけど、その時、日本語を勉強しようという人は特殊でした。でも、今は教養科目の一つとしてとる人もいます。マギル大学全体4学年で100人くらいです。
かおる ビジネスに関しても日本語を知ってるだけで、成功するための段階があがりますね。それだけ、日本との関係が大きくなってる。
ジャン 5年前のガールフレンドは日本人だった。怒るときに日本語でうるさく言うんだけどわからなかった。わかりたかったのが始めたきっかけ。
かおる 両親が日本人なので、家では日本語で話しますし、小さい時は日本語学校へも行きましたが、それだけでは十分ではありません。漢字や敬語や日本の文化などを特別に勉強したいと思って始めました。
トーマス 大学卒業後に日本へ行って英語の教師になる友達が多かったので私もそうしたいと思っていた。8年前に日本へ行って日本語を習い始めました。
メアリー 日本へ行きました。とても、すばらしかった。友達もできたし、もう一度日本に帰りたいから。
岡沢 日本語って難しいですか?
トーマス 話すのはできる。漢字、読む、敬語がむずかしい。
かおる アルファベットが2つ(ひらがな、かたかな)と漢字で3種類あるのは初めて習う人にはすごくむつかしいんです。
長谷川 難しくはないと思うけど?平均的に2年の終わりで聞き取ることができるし、4年生までやってれば、新聞もなんとか読んでくるし、全部日本語で授業してもわかるし、私たちが他の言語を4年でそこまでできるようにはならないと思うから。みんなの母国語と大きな違いがあるけど、難しいわけではないと、学生を見てて思う。
かおる それは個人によって違うと思います。4年までやる人はそれだけ日本のことをすごく好きな人がやるんだと思うし。1年生の友達は「どこから手をつけたらいいか」と言うくらいです。
岡沢 日本で道を聞いた時に逃げられた、という体験はありますか?東京だと英語をしゃべる日本人は多いとききましたが、そう思いますか?
かおる 私の友達はそういう体験をしています。
ジャン 英語を書ける人は多い。話す人は少ない。大阪も東京も同じくらいだと思う。
トーマス 以前ハンガリーに住んだことがあるのですが、今の日本人はハンガリーの人よりは話せる。日本で10人に会えばそのうちの一人は英語を話せます。
長谷川 ことばの問題じゃなくパーソナリティーの問題が大きいでしょ。まったく話せない田舎のおばあちゃんがJETプログラムの学生のために浴衣を作って待っててくれたりするのよ。私がシベリア鉄道でフランスへ行った時、ロシア人はほとんど英語を話せなかったけど、困ってればみんな助けてくれたし。なまじインテレクチュアルな人の方が閉ざしてるような気がします。私の学生が日本の不動産屋で体験したんですが、日本語で話しているのにも関わらず、その人の前で大家に電話をかけて、「外人だけどどうする?」って言ったそうです。ほんとに失礼で無知で恥ずかしい。ここだって、差別はあるだろうけど、少なくとも私の前で「日本人だけどどうする?」とはいいませんよね。変に外国人に親切なわりには失礼なこともあると思う。
かおる 昔は日本語学校へ通うのがいやでした。宿題もいやだったし、お友達はみんな休みなのに私ひとりだけ日本語学校になぜ行かなければならないのか?と日本語に対しても嫌な気持ちを持っていました。2年に1回ぐらい日本(親戚の家)に帰るようになった時、日本の文化や人々の暮らしを見て憧れるようになりました。でも私は顔は日本人だから、「日本人なのにどうして日本語を喋れないの?」と言われ、差別もうけたりして、それで勉強しなくちゃいけないな、と思いました。将来にも役に立つと思うし、日本語を学んで自分に自信がつきました。
岡沢 ご両親は日本語で育ててらしたのにそんなに日本語を学ぶのに大変な環境ですか?
かおる やはり、敬語となると<いつ、どこで、なにを使う>というのを知らなかったんです。日本で大人の前で話すと、「日本人ではありませんね」と言われました。わかってはいただいても悔しいなと思いました。
岡沢 差別というのは?
かおる 日本人は、外国から来た人に日本を紹介したい気持ちはありますが、「この人は外国から来たから外人だ」とか「この人はこうだからこうしなくちゃならない」という判断をすぐにしますね。日本人になるのはむずかしい。その点カナダはいろんな人がいるから、カナダ人になるのは簡単です。
長谷川 もちろんここでも差別というのはあるんですよ。でも、システムとしてそれをなくそうという動きがある。バンクーバーの役所のインフォメーションは中国語でも出てるんです。大阪は在日韓国人があんなに多いのに市役所で韓国語を出すってことは絶対ないでしょ?
メアリー(英語)カナダは多国籍の移民を受け入れた国だし、そういうサービスも当然あります。でも日本は外国人の数が非常に少ないし、そのようなサービスがないからといって驚きませんが。
長谷川 でも在日韓国人差別というのはあって、それをなくそうとする役所の姿勢は見られません。
トーマス 日本について深い知識は無かったのですが、行ってみて、表面的には思ったより米国に似ているなと思いました。でも、人々の考え方とかには実際は大きな違いがある。ヨーロッパに行った時には文化の違いはあるけど、カナダとそんなに違わないと思いました。日本は全然違う。小説1984の中に書いてあるように、日本人は同時に二つの反対の意見を持つということです。例えば、私と、ある日本人が日本語で話した直後でも、その人は「外国人は日本語が話せない」という考えのままでいる。これはとてもおもしろいと思う。
長谷川 思いこみが強く、他の体験をしても考えを変えることができないということね。
ジャン 90年に福島県の磐梯町に高校生留学で夏だけいきました。そこは田と山だけがあって、人が少なかった。だから、日本とカナダは似てると思った。4年後に大阪に行った時、全然違うのでショックだった。日本の勉強を始め、留学もして、今の日本の暮らしについてはわかるようになったけど、西洋で育った私には昔の日本や田舎の暮らしのことはわからない。
ジャン 混んでる電車が大嫌いです。自然が少ない。そのことだけ。
かおる 自然は日本のどこにいるかで違いますよね。私は人が多いところがきらい。排気ガスが気になります。それも行くところで違ってきますが。それと私は日本でアメリカ風のところで働いたから気にならなかったけど、友達は大変だった。<女だからこういうふうにすること>とかがあって。そういうアイデアは変えたほうがいいと思いました。学校制度が大変。大学に入るための受験とか、子ども達を見ててかわいそう。
トーマス 学校は子どもにつらいと思う。仕事もつらい。夜遅くまで働くとか、どうしてこのようなシステムになったのかはわかるけど、どうして今でもこのままなのかわからない。経済力も実力もあるんだし、変えるほうがいいと思います。一般的に、日本の社会は閉ざされています。建て前は親切だけど、本音は、外国人を入れない。
岡沢 トーマスさんが日本で仕事をするとして、夜遅くまで働いてくれ、と言われたら?
トーマス 私にはできないこと。だけど、日本は閉ざされた社会だから、私は入れない。入ってないから従わなくてもよい。私は日本に住んでいたらいつも外国人。ある大学へ入ったとしても、日本人の先生ならずっとその立場は保証される。でも外国人の先生は1年、2年の契約。外国人を本当には受け入れないシステムは悪いものだけど、日本社会の働く習慣なんかを受け入れられない人にとっては都合のいい面もあるかもしれない。
トーマス 自分には出来ないと思います。そのような状態になったら多分ほかの国で仕事を探すでしょう。
メアリー(英語)男性も女性も自由さがない。男性も夜遅くまで働かされ、女性は子どもと家で過ごす。働くとしたら制約が大きい。だから、女性は野心を持たず、いい仕事に就くことをあきらめ、子どもが3才になったら、学校へやり、自由時間にテニスをしたり、コーヒーを飲みに行ったりと、楽しみを見つけ、これで幸せだと思っている。だけど、内面では多くの問題を抱えている。知り合った人は皆良い母親だったけど、ほとんどが初めから社会に出て成功しようと思っていない。知り合った一人の専門職の女性は子どもをもっていなかった。そういう選択肢のない女性の状況がかわいそうだと思う。もう一つは、子どもがハイプレッシャーな教育制度の中にいてかわいそうだということ。外から見るだけだと、日本は本当にいいところなのだけど。
岡沢 長谷川先生、学生を見ていてどう思われますか?(長谷川先生は大卒で渡仏、結婚後モントリオールへ移住し、大学で教鞭をとられています。二人のお子さんは大学、大学院在中。)
長谷川 私が学生だったのは随分前だから時代も違うけれど、今までは、ここで大学を終える人がほとんどいなかったんです。今は帰国子女などがちょっといるようですが、日本以外の大学を認めないという日本のシステムもあるし、1年、2年の留学の人が多いですね。
大学院だと専門分野も決まってるし言葉もそう関係ないから、日本から来てる人はかなりいます。よく勉強しますね。 でも比較すると、他の学生より子どもだなぁ、と思います。特に男子学生は親に頼っています。親も毎月のようにモノを送ってくるとか。カナダ人学生は経済的に独立してる人も相当いるし、学費、生活費は払って貰うにしても一部は自分で払ってる人がほとんど。日本では大学生はまだ一人前じゃない。
ジャン 関学に留学してました。60%は高校から(内部進学)、40%は勉強して(受験で)入っていました。(それぞれの過ごし方が)全然違う。高校から(受験なしで)きた人は勉強する気は全然なくてスポーツクラブとかに入って遊んで、いい会社に入る。他の人(受験組)はクラブには入らずに一生懸命勉強していい会社に入る。
岡沢 どっちにしてもいい会社に入ってるのね。
かおる 日本は 受験が難しいから、勉強して入るグループと親が金持ちで親のお金で入るグループの区別ができてるのかしら。
長谷川 でも東大でさえ、親の平均収入がすごく高いのよ。受験がテクニックになってしまってるから、塾で養ったテクニックがないとパスしない。東大も昔は本当に頭のいい人がいたけど、今の学生はそれほど頭良くない。頭はいいけど親の貧しい人のいくところはだんだんなくなってる。ほんとに頭のいい人をセレクトできないのは大きな問題よ。
岡沢 日本だけ、ここまで受験とか学生の質が違ってしまったのはなぜでしょう。
長谷川 昔からこうだったわけじゃないと思うの。この10年くらいひどくなってる。経済かしらね。日本みたいに将来の夢が<大会社の社員>であるというところも少ないんじゃないかしら?
マギルの学生も変わってきてるけど、「こういうことを勉強したい」という人は少なくとも半分はいる。日本は、最近は韓国、台湾も、暗記ものを同じように吐き出すのは上手でも自分でレポートを書かせる、プロジェクトを持たせるとかいうと全然想像力がなくてものを書けないという学生が多い。学部内ミーティングで問題になってます。日本の学生は自分の意見をきちんと言えないので損をしてるし、通用しなくなってると思います。
トーマス マギルの学生はどう変わりましたか?
長谷川 すごく日本に近くなってきてると思う。GPA(成績のこと)でいい点をとりたい、とるために、<このコースをとればAがとれる>とかいうのが学生間に出回ってたりね、そういうのがすごくショックね。マギルも予算がカットされていろいろ弊害が出てきてる。そのうちの一つだと思うけど。
かおる 昔は大学は行っても行かなくてもいい、今は大学に行かなくちゃいけない。競争も多くなってる。人より自分をよくみせないといけない。それが原因だと思います。
長谷川 確かに学校へいく人がふえてる、別に勉強が好きだから行くっていうわけじゃなくて。
岡沢 日本的状況ですね
ある人が、成績優秀なんだけど、社会的経験が足りないという理由でマギルの医学部に入れなかったんです。知人が言うに「南アメリカでボランティアをした」ような経験があれば完璧、らしいのですが。勉強以外の点数もいるんですか?
長谷川 そういうところもあるわよ。で、それがあまりにもシステム化していて、<自分はしたくないけど書類に書くためにボランティアをやる>人もでてきてるからそれはおかしい。でも、それを見分けることはできませんからねぇ。
岡沢 私のように幼児を持っている母親の共通した考え方として、「子どもは日本の中だけでなく国際的に活躍できる人になってもらいたい。」「日本の教育現状が悪いからできれば、外国の学校に(特に大学)行ったほうがいいのではないか?」などがあると思いますが、それについては?
長谷川 高校時代などに外国を体験することは素晴らしいと思う。でも、日本の教育システムがおかしいから自分の子どもは日本の学校へ行かせないで、と思ってる人、もっとよく考えてほしいですね。教育は学校教育だけではないでしょう。「自分は親としてこういう考えをもっている」と徹底的に話し合うべきときに離れ、子どもは全然別のところで育って、親とは全く違う考え方を持ってしまい、密な話し合いができなくなっても後悔しないのか?日本の学校が悪いところであっても、親と子で話し合って闘っていくこともできると思うんです。うちの子どもが親の考えに賛成するかしないかは別ですけど、私たちの考え方はよくわかってると思います。もちろん、子どもを外に出しても親の考え方は伝えられるし、伝えられる努力をするんならいいけど、外に預ければ自然にやってくれると思うのは無責任。「ここがおかしい、これがイヤだ」「やっぱり、外にでる」と子どもが選択するということがないんじゃないかしら?
かおる 中学生が自分の考えで外国へ出ると思うでしょうか?親が言うなら行くと考えるのでは?
長谷川 小学生、中学生でもその年でわかることはあるでしょう。日本の親はどの段階でも徹底的に子どもと話し合っていない、と思うんです。
トーマス 私は十分に話し合いはあったと思います。大学も親元でしたから。
かおる 私は意見が何回も衝突しました。親は厳しい人で、伝統的な日本の制度を私に教えようとしました。帰ってきたら「勉強しなさい」とがんがん言われるし、友達はカナダ人だから優雅にしてて、電話で「早く遊びにおいで」と言われて、親と友達の真ん中で大変な時がありました。でも、親もここで長年過ごして、「しょうがないな」という考えをもちましたね。
岡沢 管理的な学校は、「ここのやり方に不満があるならやめて下さい」という姿勢だし、親も先生の方針に従いますと頭を下げていい学校にいれてもらおうとするのが普通でしょう。学校によっては、一切申し立てはしないという念書をとる学校さえあるんですよ。
長谷川 そこで、どうして学校に文句言わないのかな?制服のことでも「こどもは人質にとられてるから学校には文句いわない」という感じでやってるのが今の教育の問題点だと思う。昔、私の娘が小学校の時ですが、校長先生が変わったときに、<子どもがこういうことをしたら罰せられるけどいいか?。いいと思ったらサインしろ>という罰則条項がきたんです。たとえば、<ファック ユー>などという汚い言葉を遣った時に罰する、というようなもので、書いてあることはもっともなことだったけど、もっとよく読んでからと思って次の日にはもたせなかったんです。娘は(みんなは翌日もってくるだろうに)と心配して行ったけど、意気揚々として帰ってきたんです。先生が「あなたのママは偉い。納得してサインするというのはとても大事なこと、わからなかったら考えるのはりっぱなことだ。」とほめたらしいんです。で、他の親で、「子どもといえど、そのような言葉を遣うからには理由があるはずだ。状況もきかずにバツを与えるのに私は反対だ」という書状をもたせた人がいて、「この意見はもっともだ、きちんと校長に伝える」とほめたらしいんです。反対してサインしなかった親の子ども全員をほめて、「心配しないでいい」と言ったらしいんですね。そのような言葉かけのできる先生をすばらしいと思ったけど、「日本の親はどうしてこれぐらいのことができないんだろう」とも思いましたね。それと 日本の学校の「親は子どもが優秀だったら意見は言える。だめだったら言えない」という風潮はおかしいですよ。こっちでは、子どもが落第してたって親はいくらでも意見が言える。公立の学校でさえ、それぞれ方針が全然違うのと、いくらでも転校できるから、イヤなら変われるというのがいいですね。
岡沢 小中学校の学区制がなくなればなぁ、とは思いますが誰もなくせとは言いませんからね。ぐちるだけ。でも、私も、おかしいと思った時はきちんと言ってきたつもりですけど、やればやるほど無力感がつのるものでした。京都を出る時に、「あなたみたいな人は正しいけど、京都では浮く。出れてよかったわね。」というようなことを言われたほどでした。
長谷川 女の人は管理社会に入ってないからか、言える人が増えてきましたね。友達に<事故が多いから自転車にのってははいけない>という校則に反対して、「うちの子はケガぐらいしてもいい。乗せる」とやってた人がいました。中学生は坊主頭という名古屋でも、ある知り合いの子どもが長髪のままですごして、卒業のときに「長髪の@@くん、卒業!」なんて新聞にでたくらい。それをやる人はいるし、やれないのは欠点だと思う。
岡沢 確かに全校生徒が長髪で自転車にのればその校則も無意味ですよね。でも、それができない人の方が多い。
かおる 日本のことわざにありますね。出る杭は打たれる。
長谷川 それができなくなってきてると思います。
岡沢 先生だって親だって子どもが想像力のある本当に頭のいい子になってほしいと思って育ててるわけですよ。結果的に実力のない子になるのはどうしてでしょう?日本でも家庭大事で、育児家事に積極的なお父さんも増えているのに、改善する気配が見えません。私はとりあえず、自分の子どもがきちんと育つためには何をすればいいのか?と考えています。
長谷川 大人も管理されているからでしょう。管理されている大人が子どもを育てるから。だから、親は自分がちょっとでもおかしいと思ったことは、おかしいと言う。たとえ、相手が学校であっても。そうしないと何も変わってこない。
岡沢 そこで学校と対立して闘ってみて退学になってもそういう人が増えてくれば変わる、と?今、中途退学者が増えてますね、大検で入学する人も。そういう人がもっと増えれば変わります?
長谷川 そうね、そういう人を受け入れる学校もでてきてるしね。
トーマス 研究を続けてどこかの大学の先生をしたい。日本でいい仕事が見つかれば住みたいです。
メアリー(英語)日本を再訪したい。仕事で成功してお金も稼ぎたい。子どもの将来のためにいろいろサポートしてやりたい。ベストを尽くします。
ジヤン JETプログラムで3年間日本へ行ったあと、またどこかの大学へもどるかもしれない。というのも、政治学に興味がなくなったので方向をかえようと思っている。それは、政治学をやってる人たちというのがとても視野が狭くて自分の考えにかたまっていてがっかりしたから。
かおる 人がすごく好きなので人間関係の仕事をしたいと思います。日本語を使ってできることがあればやりたいと思っています。JET プログラムで1年日本で働けたらいいなとも思ってるし、理学療法士をめざしています。旅もしたい。
長谷川 あと何年かで退職ですけど、退職したら自分で食べられるくらいの農業をやりたいなと。ベジタリアンなんです。にわとり、できれば牛も1頭位飼って、チーズ作ったり。今、ローレンシャンで主人が家を建てているので、主人は家造り、私は耕そうと思っています。
皆様、今日はありがとうございました。これを書いている最中に、@@がつぶれた、というニュースがあり、日本もこれで変わるかしらんと思った私。良くないことだけれど、外圧というのが、一番変化を期待できる要因なのだ。結婚は簡単だが離婚は難しい。そう、この対談の顕著な事は「結婚の話が1行もないわねぇ」なのだった。さすが、カナダ人!と言わせて頂く。